Text memorize blog→あまおか勇太のblogさん
Print,Press,DTP→Logicsystem : Elemental
それ単体のみで成立し非相互参照な作品を、日常的に外部記憶の参照を行う環境・世界で見る場合、被験者へのストレスとトリガはどんなもんかな。個体完結型と群体参照型がどんな動きをするかって感じ。
知らない、ということの評価、恐れの個体差は? 日常的にリンクしてるものへの切断に似たもんか。携帯の電波とか。
参照型作品だと、元よりクォリティ上げないと叩かれるから大変だな。いや被参照でもダメなら叩かれるけど。いや、叩かれるのは内容より、本家へのリスペクトの有り無しのほうが感情の結合子にひっかかりやすいかな。
知識量だけじゃなく適切な付加やリンク、編集から生まれるわけですが、その場で外部参照しながら作れるかどうか。むしろそこまでやれるならオリジナルのほうがいいかとか。本家取りは作る際の素材ではなく元があってこその行為なので、ただ外部記憶を利用するだけならそりゃ単なるパクリか? 外部記憶との区別が付かない場合、自身の生み出したもの(もしくは自と他の区分け?)との区別はどうすんのか。タグでも付けるか? タイムスタンプや移動履歴、フォーマットで区別? 自身の知識フォーマット、データベース型は個体差があって、そこに変換していることで自身の生み出したものとする? タグじゃなく、反転、転写、鋳型、フィルタの痕跡で個体識別。どのように情報を推論していくかで思考パターン型分類する。